若手プレカンファレンス

テーマ:ゲームとしての社会/社会としてのゲーム

<趣旨>

 社会の本態を捉えるにあたっては、これまで様々な比喩が用いられてきた。その中でもおそらくもっとも人口に膾炙したものは、社会を構成する諸主体(諸アクター/諸エージェント)を「人間の身体」の比喩のうちに捉えようとするものである。西洋の哲学・社会思想を紐解けば、この比喩はプラトンの『国家』にも見られ、現代においてもある組織の中核を「頭脳」と捉える(ことと相即して組織の末端を「手足」と捉えるような)言説は巷に溢れている。

 上に述べた身体の比喩が社会の機能的側面に着目するものの代表であるとすれば、他方で、社会の本態を「ゲーム」の比喩のうちに捉えようとするものもあり、それは社会を構成する諸主体の関係的側面に着目したものであると考えることができる。例えば、その原型の一つをB・パスカルの『パンセ』における「賭けの議論」に見ることができ、20世紀に飛躍的な進歩を遂げたゲーム理論は、諸主体の協調や裏切り、およびそれらの行為に応じた報酬を設定することで、相互の関係性の形成と変容のモデルを提供してきた。

 このような二つの比喩の展開のなかでも、後者の「ゲーム」の比喩は、特に現代の人工知能(AI)の進展を踏まえれば、社会情報学の観点から無視できるものではない。例えばマルチエージェント強化学習による車の自動運転の実現の可能性が高まっているとき、我々はその簡便性とリスクの均衡を論じると同時に、それを「社会規範はいかにして成立可能か」という社会学における古典的問題に対する情報学的回答の一つとして、――その回答の正誤は措くとしても――、見取る必要があるだろう。

 さらに、人工知能が応用される現実のゲームについても、チェスや将棋、囲碁を始めとする二人零和有限確定完全情報ゲームはもちろん、近年ではポーカーや麻雀、人狼といった不完全情報ゲームにまで及び始めている。後者については未だ課題も多いが、そこで得られる結果、ないしはそこで発見される課題それ自体が、ゲーム(という比喩)と社会(の本態)との間の共通点と差異を明らかにするものだろう。

 このような背景のもと、ゲームと社会の関係を現代的文脈から捉えなおすための文理横断的な会合を、社会情報学会大会の企画として行いたいと考える。