布施 晶子 Akiko Fuse
家族というのは、まことにミステリアスな関係である。ひとが社会的存在であると同時に自然的存在であることを、これほどはっきり教えてくれる関係は少ない。衣服と言葉、礼儀作法、虚飾にくるまれたヒルの関係と、その全てをかなぐり捨てたヨルの関係が、同一のカップルの間で日々何くわぬ顔で保たれているということ自体、ミステリーの上をいく謎の世界である。長年、異なる環境で育ったものが、ある日ある時から共に暮らし始める。離婚や人生半ばでの死別の洗礼を受けなければ、半世紀近くも生活を共にする。その間には、子育てと子別れ、老親との関係、病気、転退職、転居といった大きな出来事への対処から、春夏秋冬のうつろいのなかで共に胸に刻むささやかな出会いまで、さまざまな体験を共有する。その背後では、世界の、そして日本の社会の歴史が厳然と時を刻む。 子どもにとって家族は、社会への根づきの原点をなす。ポルトマンが「早く生まれすぎた動物」と定義したように、人間は他の動物に比べるといちじるしく自立性に欠けた状態で誕生する。乳を含ませることに始まる実に細やかな世話。言葉を覚えるたびの拍手。褒められる、認められる、甘えられる、安心する、くつろげる、包みこまれる…ひとにとって心地良い思いを最初に味わうのは家族との関係を通してである。生理的安定感と精神的安心感を体験する最初の集団である。クーリーは家族を「人間性の苗床」と呼んだが、これは考えようによってはまことに恐ろしい指摘でもある。しかし、人間はたくましい。「苗床」の歪みやデコボコを自ら補修しながら生きてゆく力を持っている。 国際家族年のスローガン「家族・変わりゆく世界における資源と責任」は、あらためて「人間的価値と文化的アイデンティティを歴史的に継承する媒体」としての家族の意義を問いかけるものであった。フェミニストのなかには「家父長制家族の国際的テコ入れ」などと言って反発するものもいるが私はそうは思わない。国際婦人年、国際児童年、そして国際障害者年と積み上げてきた国際年は、これまで差別され虐げられ無視されてきたものに光をあて、その人間的復権を力づけてきた。国際家族年のいまひとつのスローガン「家族からはじまる小さなデモクラシー」の実現へむけての個人・家族レベルでの切磋琢磨と社会的支援は、人間的復権を目指す輪に連なる人びとをより豊かに大きく育むだろう。
人文学部のいっそうの発展をめざして
一九七七年に発足した本学部も十八年目に入った。開設時には、本学等三大学であった人間科学科は、この間、全国で八大学に、人間関係学科は十四大学にそれぞれ増加し、さらに近年、人間文化学科、人間福祉学科など、「人間」を冠する諸学科(十大学)も拡がり、「人間」系学科のわが国の大学への定着を示している。ここに本学部の先見性と先駆性をみることもできるが、同時に本学部の人間科学科が他に伍していくに際して、いっそうの研究、教育上の充実、発展を求められている。また、この間、わが国をめぐる国際化の進展とともに伝統的な英文学科に加え、国際文化学科(現在、全国三十三大学)の如く、言語(英語)と文化・地域研究を結ぶ学科の誕生と拡大など多様な展開がみられる。本学部英語・英米文学科は開設時から英米文学の研究・教育とともに、英語運用能力を養いつつ、英米文化について広い視野を培い、英語社会に特有の広義の文化の研究を深めることをめざしてきたが、この方向をさらに進め、国際化の進展にいっそう対応しうるよう、学科の特色を発揮しようとしている。本学部は開設時に、「古い人文主義的教養主義にも、狭い実用主義的職業教育にもとどまることができない」として、新しい意味での「ゼネラリスト」の育成を掲げていたが、それは従来の一般教育の改革をも志向していたものにほかならない。本学では、学園将来計画に関する答申『時代の展望と大学教育の創造』(一九八七年)がすでに四年間一貫教育=各学部・学科による一般教育、専門教育の一元的教育責任体制の確立を提起していた。このような方向は九一年の大学審議会答申及び大学設置墓準改正によって、実現の外的条件を得ることとなり、一昨年来、本学の一般教育改革に関する全学的検討委員会が設置され、今般、その最終答申を得て、現在、各学部で討議が行われている。人文学部では八八年の「人文学部将来計画要綱(案)」以来のたび重なる検討をもとに、九二年度より実施の臨時定員増を踏まえて、開設二十周年を期して、学部の再編成を実施すべく、このたび酒井恵真人文学部長を委員長とする学部再編計画委員会を発足させ、来年三月を目途に、学部の一般教育と専門教育の総合的改革を含む新たな展望を切り拓こうとしている。 (廣川 和市)
人文学部は一九七七年四月に道内初の人文学部として開設され、一九九七年四月には二十周年を迎える。それを記念した諸事業の企画案を検討する「人文学部二十周年事業企画委員会」が本年一月に発足した。委員会ではこの記念事業にあたっては過去の十周年事業、十五周年事業の内容を継承・発展するものであること、また、学部設立の理念である人間尊重の精神を現す統一テーマを設定し、テーマに即した事業計画を立てることなどを確認した。そして、事業遂行に必要な資金は、学部運営費の一部を充当するほか、学園や、教職員、同窓生からの寄付金を募ることも検討された。
また、企画委員会から次のような記念事業企画(案)が教授会に提出され、その大筋は承認された。今後は各企画毎に実施委員会を構成し、さらに同窓生や在学生とも協議しながら各事業の具体的検討に入ることになっている。
その他卒業生の動向調査、在学生の教育意識調査なども提案されている。 また、二十周年を期して学部教育体系の新構築、海外(現地・語学)研修制度の促進、学部付設研究教育機関の新設、内外研究教育機関との教育学術交流の促進など学部の研究教育活動の拡大充実も推進される予定である。 なお、一九九六年は学園創立五十周年にあたるが、人文学部二十周年記念事業はそれに協賛する意味も込められている。 この事業(案)は一九九三年から九七年の五年間で計画・実施される予定である。
(杉本 正)
一九九四年度前期末学位記授与式(卒業式)が九月二十九日、本学で挙行された。今回学位記を授与されたのは全学で三十四名であったが、人文学部は人間科学科が四名、英語英米文学科が二名の計六名であった。式では一人一人に学部長から学位記が手渡され、学長らの励ましを受けながらキャンパスを後にした。これで人間科学科の卒業生総数は一千八百六十八名、英語英米文学科は七百九十七名となり、学部全体では、二千六百六十五名となった。
本学の年中行事となった新入生の合宿オリエンテーションが、今年も四月七日と八日の両日、定山渓のホテルを会場に行われた。合宿オリエンテーションの目的は大学生活に対する不安の軽減をはかり、学習単位であるクラスの仲間づくりをすすめて学習環境を整える契機とするところにある。これには二百五十二人の新入生の他、実行委員会を構成している学部長、学生委員、事務職員らが七人、クラス担任の学部教員九人、三十二人の補助学生が参加した。 既に十五回を数えた今年の特色は、クラス単位で過ごす時間をゆったりとるという方針で全体企画をへらしてスケジュールをくんだことにあった。結果としては例年よりクラスの仲間とゆっくり話し合う事が出来たようである。 また、今年のもう一つの特徴は学部の目玉企画の「MY CAMPUS LIFE」と題してミニシンポを企画したことだった。人文学部の若手教員を代表して鶴丸俊明(考古学)、宮町誠一(英文学)、T.P.P.グローズ(英語)の三教員にきてもらい、自分の学生時代の思い出を大いに語ってもらった。それぞれユニークで個性的な学生生活を送ってきたことが紹介されたが、学生時代は自ら作って行くものでお手本なんかないということを体験談を通して新入生にメッセージが送られた。 このほか履修相談、課外活動紹介コーナーなども設けられ、ちょっぴり学習ガイダンスもなされた。一日目の夜には学生・教職員が一堂に参加した学部交流会が開かれ、新入生の若さを爆発させたクラス対抗ゲームや目立ちたがり屋が繰り出すパフォーマンスに爆笑するなど時間を忘れて大いに盛り上がった。 今年も無事合宿オリエンテーションは終わったが、いつものごとく、これを実質的に支え実行してくれたのは補助学生(在学生)の努力とパワーによる。彼らも先輩在学生に迎えられた感激が忘れられず、今度は迎える側の一員として協力を申し出てくれた。これも合宿オリエンテーションから生まれた大切にしたい財産である。 (松本 伊智朗)
人文学部の専門教育科目である「文化論特講A」は「北海道文化論」を主題に毎年夏期集中講義として開講され、今年は第十六回にあたるが、平成六年八月二十九日から一週間をかけ、毎日午後に二講時ずつ、公開講座を兼ねて実施された。 講座の担当者とテーマは毎年変わるが、今回は人類学と考古学の視野から、現在までに明らかになっている北海道の人と文化の源流を探ることを内容とし、標記の題名が選ばれた。考古学分野のテーマは以前に大場利夫教員担当の第五回講座で「考古学上からみた北方圏の民族と文化」と題して取り上げられたことがある。今回の構想と講師の人選には本学部の鶴丸俊明教員に関わってもらった。 講師と講義の題目は次のとおりであった。
この講座を通して、最新の人類学・考古学の研究成果から、北海道を中心に他の日本各地、千島、サハリン、シベリア等との人と文化の交流や渡来の経路に関する現在の知見をかなりの程度にまとめることができ、成功であったと思われる。 江別市民を主とする学外の聴講者も広い年齢層にわたって毎回三~四十人に達し、日によってB101教室に補助椅子を持ちこむ必要も起こった。加えて今夏の異常な暑さのため、参加者につらい思いをさせたこともあった。またとくに学外者の熱心な質問も多く、時に終了の時間を延長せざるを得なかった。 なお、本講座の内容は例年のように北大図書刊行会の援助をえて本学の生協から北海道文化論第十四巻として来年には出版される予定である。 (佐倉 朔)
本年度人間科学科の夏期集中講義(心理学特講A)は京都大学保健管理センター講師の青木健次先生をお迎えして行われた。青木先生は経験豊かな心理療法家であり、心理検査、特にバウム・テストなどの描画法に造詣が深いことで知られている。 今回の講義は、心理アセスメント(心理診断)に関する基本的な事柄を実際的に学ぺる方向でお願いした。 講義では、童話、絵本、漫画などの素材を用いて心理臨床に関する理論・概念の解説がなされたり、代表的な描画検査等の実習を行いそこでの学生たちの体験に即して臨床実践の勘所が説明されたり、柔軟で巧みな工夫がなされていた。それらは学生の興味を十分に引きつけるものであった。履修生約二百名の四割が一年生であったが、彼らにも理解しやすい講義であった。しかも、平易で取りつきやすい内容でありながら、現場で働く臨床家にとっても参考になるような質の高いものも含まれており、さすがと思われた。 受講学生からは「心の世界を理解するには豊富な知識・経験に基づいた多面的な視点と感受性を養うことが必要であることを知り感銘を受けた」「物語、絵本、漫画の心理学的な読み取りの面白さを学んだ」といった声が聞かれ、非常に好評であった。
今年度の集中講義は八月二十九日より六日間の日程で始まった。テーマは「異文化コミュニケーション」で、約六十名の学生が受講した。日本でも近年、異文化コミュニケーションという研究分野の充実が求められている。一九五〇年代に米国の平和部隊が世界中に展開する中で異文化との衝突が多く報告され、従来のコミュニケーション学部に包含される形でこの分野の研究が米国で急速に進んだ。一言でいうと「異文化と接触した際に生じる様々な葛藤の原因を探り、その問題解決にあたる研究分野」である。 講師の桜美林大学国際学部の荒木晶子助教授は米国での研究とNHK国際部で得た豊かな経験を通してコミュニケーションの大切さとその魅力を大いに語ってくれた。午前中二コマ続きであったが、私語が皆無なことや出席率の良好さに学生の関心度の高さが窺われた。 さらに、講義の面白さに加え、講義方法にも顕著な特色があった。荒木先生の講義は正にコミュニケーションに終始していた。講義の始まりに二枚の用紙を配布し、一枚は講義のためのノートであり、もう一枚はその日の感想用である。毎日の講義の終わりに両方を回収し、ノートは内容をチェックし、また、感想文は氏名を外して全員分を張り合わせて印刷し翌朝学生全員に返却した。ノートを見てその理解度を把握し、感想文を読んで反応を確認して翌目の講義に臨まれた。荒木先生は平常の講義でもこの手法を導入し、学生にもすこぶる好評とか。本学の学生も回を重ねるごとにノートも感想文も内容的に充実したものとなっていった。 最終日には茶話会も開催され、受講生たちは、荒木先生との歓談や写真撮影を楽しんだ。 (宮町誠一)
人間学概論A(中野徹三担当)では昨年は国連の「国際先住民年」にちなみ北海道の先住民族であるアイヌ民族とその文化について、北海道ウタリ協会札幌支部の小川早苗さんに講演(アイヌ衣装の美しいスライドも含めて)をしていただいた。 今年は朝鮮民族と日本民族の交流の在り方が私達にとって非常に重要になっている折から、日本に長く在住してこられた朝鮮人の方からお話しを聞くことにした。講演は北海道朝鮮人初中級学校の創設者であり、初代校長を勤められた在日五十三年の李珍澤さんにお願いし、六月十六日に実現した。 李さんは一九二六年に日本統治下の南朝鮮全羅南道に生まれ、朝鮮語を話せば罰せられるという状況の下で成長し、一九四一年十二月ちょうど太平洋戦争が始まると同時に大阪の叔父をたずねて来日したいきさつ、その後夜間中学で苦学しながら日本の敗戦を迎えたこと、その後帰国もままならず朝鮮中学校の臨時教員となって教育者の道を進み、本道最初の朝鮮初中級学校(八二年に高級学校を併設)の開設にこぎつけた苦労などを淡々と話され、私達に深い感銘を与えてくれた。 後に書いてもらった講演の感想にはそれぞれが受けた感動を自分の言葉で率直に語られており、感動の深さを知らされた。 その一、二を紹介する。「講演を聞いて思ったことは、日本人から優しくしてもらったことなども話してくれた。本当はその何十倍もひどいことや差別を受けたのにそのことに私達日本人を責めたりせず自分の体験談を話してくれて、自分の今までの朝鮮という国に対する見方を変えてくれた」「日本人の行為を許すことは出来ても忘れることは出来ない、この一言で朝鮮人である李先生の心の広さと日本人の行った事が、どんなにひどいことであったかということをあらためて痛感させられた」 (中野徹三)
九月一日の雨上がりの午後二時から、本学B館で桜美林大学国際学部荒木晶子助教授を講師として「真の国際人を目指して—異文化コミュニケーション能力の開発」という演題で講演会が開かれた。午前中の集中講義に引き続いての講演ではあったが、本学学生・教員・一般市民四十名の参加者を前に熱弁を振るわれた。 講演の中では特に日本と米国のコミュニケーションの仕方の違いに着目し、その文化的背景を解説された。例えばほめ言葉の使い方の違いをご自身の体験から紹介し、言葉ではなく「雰囲気」から相手の真意を読み取る日本人と「ほめ言葉」をそのまま受け取る米国人のコミュニケーション行動をユーモアを交えて対比され聴衆を楽しませてくれた。 また、国際人とは決して日本人をやめることではなく、日本人であることを一〇〇%大切にした上で、例えばあと五〇%国際的要素を自己の中に取り込める人と定義されていたのが印象的だった。つまり、国際化とは日本人としてのアイデンティティを維持しながら国際的地平を自己の中に拡大していくプロセスと定義することも出来るという示唆であった。その方法論の探求がこの研究分野の主題なのである。 (宮町誠一)
九月二十六日、本学で講師にデンマーク、ミゼルファート市社会福祉部部長のゲオ・トマセン氏、通訳に同国在住の木下澄代氏を迎えて、文化講演会が行なわれた。参加者は社会福祉論履修中の学生を中心に約二百名の参加者があり、盛況であった。経済学部の横山教員(地方財政論)は地方財政論の講義を振り替えて参加された。また近隣自治体や社会福祉関係各団体から約二十名の参加者もあった。 講演では、現在世界で最も整備されていると思われるデンマークの社会保障・社会福祉制度の概要をライフサイクルに即して解説され、初学者にも分かりやすく、かつ専門研究者にも示唆に富むものであった。 次の二点が特に印象に残った。一つは、デンマークの自治体職員の力量の高さである。トマセン氏は「研究者」でも高級官僚でもない。人口二万人余の自治体職員である。年齢も三十七歳と若い。氏は昨年に引き続き来日し、各地で、講演会をこなし、研究会に出席するということ自体、福祉社会を「現場」で支えている職員の力量の高さを示している。それは講演や前後の議論からも十分にうかがえた。またそうした職員を送り出す自治体の姿勢にも、学ぶべきところは多い。 もう一つは、デンマークの「高福祉」体制は、国民の強力なコンセンサスによって維持されているということである。そのコンセンサスの社会的基盤を問うたところ、それは大恐慌期のミゼラブルな状態に戻りたくない、そのためにはどのような社会を築くべきかという社会的合意が土台にあるとの答えであった。この点は、戦後の混乱期のミゼラブルな生活状態を判断基準とし、それとの比較で今日の生活を「豊か」と考え、社会福祉水準の「切り下げ」もやむなしとする「コンセンサス」が形成されているように思える我が国と対照的である。 (松本伊智朗)
この研修は、前期に「海外事情I」もしくは「英米事情I」を履修した学生が実際に英語圏の国を訪れ、語学と文化を学ぶ研修である。科目名は「海外事情II」もしくは「英米事情II」である。本学では第八回から研修先をアメリカ合衆国東海岸ボストン市の郊外に位置するベントリー大学と提携しておこなっている。 研修の特徴は、学生寮での生活を体験できることにある。アメリカはどの大学も学生寮をキャンパスの近辺かキャンパスの中に組み込んでおり、本学の学生はアメリカの学生同様のキャンパスライフを満喫することができた。夏休みとはいえ、留学生を中心に寮に残っているベントリー大学の学生もかなりおり、参加学生は彼等との交流を通して様々なことを学んだようだ。 午前中は英会話とアメリカ東海岸の歴史・文化を学び、午後は実際にバスに乗り込み博物館や美術館、歴史的名所等を訪れて実体験するようなプログラムであった。日本語の全く通用しない世界を初めて体験する学生にとって、研修のはじめは不安で一杯であったが、ベントリー大学の学生が補助学生として配置されており、彼等とのコミュニケーションから徐々に緊張がほぐれ、外部の世界ともうまく順応していった様子が窺われた。 週末のプログラムは金曜の夕方から日曜の夕方までをホームステイ先で過ごし、参加学生にとって貴重な体験となった。三週間のベントリー大学での研修を終えて、われわれはワシントンD.C.とニューヨークヘも足を運んだ。ボストンをはじめアメリカ東海岸の代表的な都市を訪れたことになる。学生はポストンとニューヨークの違いなど、肌で感じとることができた。 夏休みを利用した二十七日間の研修旅行では、参加学生にとって、これからの学生生活を送るうえで沢山のアドバイスやサジェスチョンを与えられたと確信している。 (岡崎清)
今年八月十八日から二十七日までの十日間、英語英米文学科のゼミ学生七名とともに、オーストラリアに語学研修に出掛けた。 今年度の後藤ゼミでは『多様な英語』の題目のもとに、オーストラリア英語も取り上げ、イギリス英語やアメリカ英語と対比して研究している。言語の研究は、発音・語い・文法に限られるものではなく、それを成長・発達せしめた背後の歴史・文化にも、十分な目配りが必要である。そのような考えに立って、学生諸君はテーマに取り組んでいたが、やがて理論的研究だけではなく、対象言語と文化に浸って、直接的にそのテクスチャーに触れて見たいとの要望があがり、研修旅行が企画された。政府認可のAIIUを受け入れ先とし、シドニー近郊の家庭に、ホームステイすることもできた。 研修センターでのオーストラリア英語と文化についての学習、シドニー大学でのオーストラリア史の講義、また歴史資料館・博物館・美術館・植物園見学などは、熱心な解説もあって、当地の言語と文化の理解に極めて有益であった。 専門教育の初期の段階で、英語を用いねば生きて行けぬ状況に、十日間に亘って投げ込まれ、英語能力の不備を自覚させられ、一方でまたこれまでに培って来たものに大いなる自信を得る体験を経たことは、学生諸君には今後の学習に対する大きな刺激となったことであろう。 (後藤 弘)
去る九月十三日から十五日まで、千葉県の九十九里浜で四大学合同のゼミ合宿が開かれた。このインターゼミは、昨年は束京国際大学の早坂ゼミ、長野大学の小川ゼミ、淑徳大学の足立ゼミの三大学合同で行われたが、今年はさらに東京国際大学の山本ゼミ、それに札幌学院大学の滝沢ゼミが加わった。四大学五ゼミで百人近い学生が集まるという盛大なものであった。 このインターゼミ合宿は東京国際大学の早坂泰次郎教授が提唱する現象学(人間関係学)に関心をもつ教員のゼミが集まったものである。今年度ヴァン・デン・ベルクを学んでいる本学の学生にとっては、その訳者と会える願ってもないチャンスであった。 各大学の学生はバラバラに十人ぐらいの小グループに分けられ、大学院生が進行役となって話し合いが進められた。滝沢ゼミの卒業生で今東京国際大学の大学院生である伊藤誠悦君もその中に加わっていた。学生は事前に『人間関係の心理学』を読んで来ることになっていたが、話し合いは参加者の関心にそって自由になされていたようである。五人の教員はそれぞれのグループを回り、必要があれぱ助言するという形でかかわっていた。グループで話された内容はさまざまであるが、終了後感激して涙ぐんでいたグルーブがあれば、逆に何か不全感を残したままのところもあった。しかし誰もが人間は一人ひとり違うということ、そして関係の中で相互に理解しあう必要があるということを実感できたようだった。いずれにしろ合宿はグループでの話し合いだけではなく、レクリエーションや交流コンパもあり、深夜まで他大学の学生と楽しく交流できたことは、本学の学生たちにとっても貴重な体験だった。 (滝沢広忠)
◎在外研究員
・川瀬 裕子 93年9月1日~94年8月31日 アメリカ、アムハースト大学 「現代アメリカ文学・演劇研究—フェミニズム、少数民族集団の文学作品を中心に」
・奥谷 浩一 94年7月1日~9月30日 ドイツ、ルール大学ボーフム 「ヘーゲルの論理学成立史研究」
・西出 敬一 94年9月1日~95年8月30日 アメリカ、アトランタ大学 「アメリカ黒人史の比較研究」
◎国内研究員
・北爪真佐雄 94年4月1日~9月15日 「日本中世史研究及び近代産業史の研究」
・藤井 史朗 94年10月1日~95年3月31日 「社会学的人間論の検討」
◎教員の海外研究出張
・笹岡 征雄 94年7月14日~7月28日 オーストラリア 「ゴールドコーストマラソン大会参加と情報交換」
・鶴丸 俊明 94年7月17日~7月31日 モンゴル 「チンギス・ハーン陵墓の探索・調査」
・中野 徹三 94年8月20日~9月12日 オーストリア、ドイツ 「ヨーロッパ思想研究国際協会第4回会議出席及び研究交流」
・菅原 秀二 94年8月27日~9月14日 フランス、イギリス 「国際都市史学会出席及び研究資料収集」
・小山 充道 94年9月27日~10月2日 シンガポール 「アジアカウンセリング学会第10回大会出席」
◎教員の異動
▼退職 (3月31日付) ・佐々木 順 (社会福祉論)
(9月30日付) ・鵜月 裕典 (アメリカ研究) 立教大学文学部へ転出
▼採用 (4月1日付) ・教授 津田 光輝(社会福祉論) 中央大学法学部卒、東京都目黒区役所厚生部
(10月1日付) ・講師 中川 正紀(アメリカ研究・英語) 一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得
◎研究助成
▼文部省科学研究費助成 ・(一般研究C) 澤田 幸展 「無拘束ホタル型血圧—心拍出料計を用いた日常生活場面における昇圧エピソードの解析」 110万円
・(奨励研究A) 松本伊智朗 「地域における児童福祉ニードの存在形態と児童福祉施設の課題に関する研究」 90万円
▼文化財保護振興財団研究助成 ・鶴丸 俊明 「外国人研究者の招致」 53万円
◎委嘱発令 ・奥田 統己 北海道アイヌ民族文化研究センター研究員(非常勤)
◎人文学部教員出版物 ・小山 充道著 (山田一朗・池田光幸と共著) 『行動科学』 医学書院 一九九四年一月 一、九五四円
・船津 功著 『歴史と民衆運動』 北海道出版企画センター 一九九四年三月 一、七〇〇円
・滝沢 広忠著 『日常性の心理学』 北樹社 一九九四年五月 二、一〇〇円
・スーザンケアリー著 小林 好和訳 (小島康次と共訳) 『子どもは小さな科学者か』 ミネルヴァ書房 一九九四年五月 三、八〇〇円
今年度から人文学部を中心に「エイズについて考える会」(杉山吉弘研究室)という研究会が発足した。その趣旨は、この問題に対する関心を喚起するとともに、学生たちの討議の場をつくりだすことである。まずはエイズについて正しい知識をもつことが必要であるが、なによりもエイズは総合的人間理解をめざす人間科学科にふさわしいテーマなのである。なぜならその問題は、免疫等にかかわる最先端の生命科学、病理学、公衆衛生的施策、医療の現状、人間と性、社会的な偏見と差別、汚染された血液製剤に対する薬害訴訟、など複合的な視点を必要とする総合的な問題だからである。その薬害訴訟を支援する集会には研究会に集まった学生たちも参加した。また、エイズ裁判は私たちの人間性を見極める試金石である。自分に無関係であると思っていることが感染爆発を惹き起こす。本研究会ではエイズを身近な間題として直視していきたい。 (杉山 吉弘)
苫小牧市教育委員会から委嘱を受けて、人文学部のスタッフによる「市民大学講座」が九月十四日~十月十二日にかけて、苫小牧市公民館で開かれた。今回のテーマは「こどもの今を考える~家庭で何が起きているか」で、講師は清水信介(臨床心理学)、小林好和(教育心理学)、鈴木秀一(教授学)、布施晶子(家族社会学)の四人であった。
人文学部は今年で開設十八年目を迎えた。当時は二学部にすぎなかった本学も昼間五学部の文科系総合大学となった。また道内で本学が唯一だった人文学部やその類似学部が他大学にも開設され始めた。あらためて本学人文学部の存在意義と独自性が問われる段階にきている。ここに学部の研究・教育・社会活動の自己検証と新たなコミュニケーションの創造を期して学部報を発刊した。人文学部の実像と心意気が伝わるものでありたい。 (酒井 恵真)