心の手帳 38号(2012年6月)

初夏に思うこと

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 季節も少しずつ夏に近づいてきました。北海道の夏はとても短く、あっという間に過ぎてしまいますが、その分「夏を楽しみたい」という気持ちが強いのは私だけでしょうか?
 初夏になると、私はいつも幼い頃の夏休みを思い出します。宿題そっちのけで、毎日外に飛び出していた子どもの頃、花火大会や夏祭り海水浴に、外での焼き肉。夏を『宝の季節』のように感じていました。
 子どもの頃、あんなに長かった1日が、忙しさに追われて今はとても短く思えます。あの頃の元気一杯な自分を思い出しながら空を見上げると、「もっと夏を楽しめよ!」と太陽に笑われている気がします。

映画『マグノリア』雑感—偶然と必然—

橋本 忠行〔心理臨床センター客員研究員(臨床心理士)〕
 私は昔から、複数の物語がある一つの点で交錯するタイプの映画を好んで見ます。最初にその構造が採用された映画に由来して“グランド・ホテル形式”と呼ぶそうなのですが、例えば「ショート・カット」(ロバート・アルトマン監督)、「バベル」(アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督)、そして日本では「The 有頂天ホテル」(三谷幸喜監督)などはお気に入りです。 当初は関係のないように見える各々のエピソードが、時間の進行と共に次第に絡み合い、そしてある瞬間にその映画の主題が明確に、という流れですね。  

 その中でも特に印象に残っているのが、1999年公開の「マグノリア」(ポール・トーマス・アンダーソン監督)です。
 舞台はロサンジェルスの珍しく雨が降る一日、登場するのはトム・クルーズ演じる新興宗教の教祖まがいのセミナー講師、ジュリアン・ムーア演じる財産目当ての結婚を悔やむ後妻など、いい人生をおくりたいと願いながらも、その歯車がどこかでズレてしまった人ばかり。 真面目な警官は拳銃を紛失し、元クイズ天才少年は歯列矯正すれば恋が叶うと信じその費用のために強盗を働きます。 しかしながら監督は彼らの失敗を突き離して描くことはなく、それ故観客を物語に引き込みます。
 「自分も同じような間違いを犯してきたかも知れない」とフト考えさせられる、そういう意味では感情を使いながら見る映画です。 カット割が細かく、かつ次場面の音楽がオーバーラップするため緊張感も続きます。  

 長い一日が終わるその時、旧約聖書の引用と思われる奇跡が起こり、写実的な物語は一転してありえない救いを登場人物にもたらします。 世の中は必然で成り立っているのか、それとも偶然に満ちているのかという主題を提示されたように感じました。
 心理療法で変化が生じる時も同じようなものなのかもしれず、共時性なんて言葉を久しぶりに思い出しました。 普通の人達がそれぞれに迷いを抱え、すれ違いながらもどこかでつながっていく姿に胸を打たれました。

実習生(大学院生)のつぶやき

挿絵
 皆さんは先月の5月21日に見られた「金環日食」はご覧になりましたか?
  北海道では残念ながら「金環」は見られず「部分日食」でしたね。私は当日の朝には「はっ!」と思い出し、家にあった下敷きとサングラスで間に合わせ、少しですが日食を見ることができました。(本当は専用のメガネを使わないと目に悪いそうですが…)
  太陽が欠けて、とても幻想的な光景を無事(?)見ることができました。そして、日本中の人たちが、同じ時間に同じように太陽を眺めていると思うと、とても不思議な気持ちになりました。
  日食の際、動物は夕方と勘違いして普段見られないような行動をとることがあるそうです。それをきいた私は、ワクワクしながら家で飼っている2匹のワンちゃんをじーっと観察していたのですが、ワンちゃんたちはいつもと変わらずマイペースに過ごしていただけでした(笑)。 ただ、朝の日光浴を日課としているワンちゃんたちはすこし残念そうに見えました。 次回金環日食が見られるのは18年後。しかも北海道でちゃんと見られるそうです!

 「つぎは○年後」と言われると、私はいつも「そのときは○歳だなぁ。何をやっているんだろう…」と考えてしまいます。18年後まったく違った環境で太陽を見ている私を想像するととても不思議な気持ちになります。 今度はちゃんと事前に計画を練り、すこし特別な所で日食を眺めてみたいなぁと思います。しかし、計画性のない私(そして忘れん坊)は18年後も変わらずまた、当日慌てて思い出し、その場にあった下敷きで同じように日食を見ているような気がしてなりません。     
(A.T.)

イラスト:ふわふわ。り