心の手帳 46号(2015年2月)

自然を感じて

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 心理臨床センター相談室は、大学キャンパス内にあります。キャンパス内の「大学の杜(もり)」は、3月とはいえ、まだまだ除雪して集めた雪がうずたかく積もっています。けれども、そんな雪の中でも、小さな森の木々は静かに春支度(はるじたく)をはじめています。
 一冬の雪の重さに耐えかねて折れた枝を痛々しく下げている桜の木も、空に向かって伸びる枝先をよくよく見ると、なんとなく、ほんの少し、芽をつけているように見えます。また、運が良ければ、白樺の木にアカゲラがとまっているのを見ることもあります。
 相談室に来られる方々も、ときどき、この森の自然を感じながら歩いて来られるようです。
 あわただしいこの季節、受付の窓の外に広がる森をながめ、相談室のスタッフも、みなさんと一緒に、春がくるのをゆっくり待っています。

夏をおもう

井手 正吾〔心理臨床センター研究員・臨床心理学科教員(臨床心理士)〕

 北海道の冬は暖かい!これは、九州育ちの私が旭川にきて、厳寒で大雪の初めての冬に感じたことである。外は確かに信じがたい冷たさであるが、風呂上がりにビールが飲め、アイスクリームも食べることができるいうのは、もっと信じられないことであった。職場でも、飲み屋でも同じく室内は天国、常夏という感じであった。

 では、九州の夏は涼しい!と言えるかというと、最低私が過ごした時はそうではないし、夏に仕事などで出かける内地の最近の様子でも、そうは言い難いのではないだろうか。
*   *

 夏。まぶしくやけつく太陽、汗ばむ暑さ、寝苦しい夜。九州の夏はまさにそのような季節であった。だが、夏はどこであれ似たようなものであろう。夏という季節は、青春というか、大人になっていくための半人前の時代を連想させる。「太陽の季節」や「異邦人」も暑苦しい夏が大きな場面になっていたと思う。若さは、猛暑の中、いろんな有り様で、もがき苦しむことができる。反抗的で暴力的になったり、ひとひねりした正義感に燃えたり、引きずってきたものを必死に振り払おうとしたり、虚無的で退廃的にあがいたり、人それぞれにひたすら何かに向かっていく。大きな夢を追いかけているような、いや、夢の中でよろこび、怒り憤り、嘆き悲しみ、なぐさみやすらいだりしているような感じなのかもしれない。
* * *

 時は人を待たない。夏はくりかえし巡ってくる。夏のあがき、若き日の不安定さは、歳をかさねるとおだやかになる。成長というのは、無限の可能性をつぶしていくものであるといわれたりする。夢は次第にかけてゆく。さみしいものだ。
 夏の暑さに汗ばみながら、やれることを不器用に精一杯やって、ひといきつける夕方。暑さは残るが、昼間の灼熱と比べると涼しくなる。そんな中、ビアガーデンで飲む冷たいビールはおいしいものである。まわりの若者をはために、まだくすぶりながら残る夢を想いながら、、、

実習生(大学院生)のつぶやき

挿絵
 「年取ると、涙もろくなるんだよね」私の母はテレビや音楽を見たり聴いたりするだけでよく泣いていました。小さい頃は「また泣いてる」とか「どこに感動してるの?」と笑っていました。しかし、近頃の私はあのとき見ていた母のように、些細なことで泣いています。「どこが泣けるの?」と聞かれることがありますが、自分でもなぜこんなに涙がでてしまうのやら……。本や音楽でだけでなく、小さい頃の弟を思い出すだけで涙ぐむほどです(笑)
 どんな時に泣けるかは答えられませんが、どうしてなのかは最近うっすらとわかってくるようになりました。振り返られる昔が多くなればなるほど、色々な想いが頭を駆け巡っているような気がします。まだまだ未熟な自分ですが、少しずつ成長できているのかなぁ、なんて。
(H.N.)
 
 
イラスト:ふわふわ。り