心の手帳 51号(2016年10月)

私の思案

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 北海道の短い夏が過ぎ、だんだんと秋めいてきました。心理臨床センターの周りの木々も次第に色づき始めて、緑、黄色、赤、オレンジと色彩のグラデーションが美しく、道行く人々の足を止めています。
 秋といえば皆さんはどんなことを思い描くでしょうか?私は最初に食欲の秋を思い描きます。秋になると実りの秋というように種類豊富で新鮮な作物が食べられるようになります。  しかし、食べてばかりだと肥えてしまうので運動でもしようかなと思ったり、運動で疲れたら家に籠って読書でもしようかという風にもなります。  食欲の秋からいろいろな思案が膨らみましたが、秋にはまだまだいろいろな秋があります。  秋の夜長でアンニュイなとき、ひとつ何か思案するのはどうでしょう。  何か面白いことが思い浮かぶかもしれません。

JAZZを聴く

村澤 和多里〔心理臨床センター研究員・臨床心理学科教員(臨床心理士)〕
 村上春樹を気取るのは嫌なのだが、JAZZが好きで聴いている。“JAZZ”と書くほうがキザな感じがするので、あえて“ジャズ”とは書かない。 Zが二つもつくなんてかっこよすぎる。周知のように私は落ち着きのない性分であるので、騒がしい音楽を好むように思われがちだけれども、実のところあまりうるさい音楽は苦手である。 きっと、今以上に頭の中がとっちらかってしまうからだろう。
 とは言っても、JAZZも落ち着いた音楽ではない。  もともとJAZZは“JASS”といったそうで、「みだらな」というような意味だったらしい。思えば、今もJAZZにはセクシーなところがあるように思う。  旋律は、かなりトリッキーであったり、ファンキーであったりするので、とてもスリリングで、そこが楽しい。  クラシックは苦手だ。いい音楽だと思うけれども、聞いているともどかしい気持ちになり、コンサートでは背中をかいたり、足を組み替えたりしていて妻から叱られたことがある。  ロックは好きだけれど聴き飽きた。JAZZの場合は、適度の落ち着きがない感じで飽きがこない。グルーヴ感というのだろうか。
 JAZZを演奏する人の多くはADHDなんだろうと思っている。多動なところが音楽の中に昇華されているのだろう。  女性ヴォーカルのElla Fitzgeraldは晩年までファンキーなおばあさんだった。  クリスマスになるとかかるファンキーなジングルベルを聴いたことがある人も多いのでは。  いわんやMiles Davisをや。Acid Jazzに入るらしいがJamiroquaiのJ.K.は、インタビューの最中1分だってジッとしていられないらしい。  ジャンルは違うが尾崎豊も衝動的な性格て有名だ。全ての表現が音楽になって流れ出していくという世界はどんなものなのだろう?  凡人の私にはわからない。
 ちなみに今はまっているのは、Tingvall Trioという北欧のグループの“Beat”というアルバムだ。ピアノがメロディアスでかっこいい。  コーヒーを飲みながら聴きたいんだが、家ではいつもドラえもんの歌にかき消される。ジャイアンの歌もファンキーさでは負けていない。

実習生(大学院生)のつぶやき

挿絵
 今年ブラジルのリオデジャネイロで開催されたオリンピックは、スポーツの祭典と言われるが、私たちに「感動」のを与えてくれたという観点からは「感動」の祭典であったと言えるのではないだろうか。 ではなぜスポーツは「感動」を体験させてくれるのだろうか。 私は、スポーツには少なからず競争(competition)の要素つまりは勝敗・優劣が存在することが「感動」を生じさせるという考えに辿り着いた。 国別団体競技は勿論だが個人種目も含めて、国の威信やアスリートとしてのプライドなどの個々人が抱える譲れない何かを賭けて闘う姿には心を動かす力があると思われる。 この熱い気持ちが全国いや全世界中を感動させるのであろう。2020年に東京でオリンピックが開催されるのが今から待ち遠しい。
(T.S.)
 
 
 
イラスト:ふわふわ。り