心の手帳 53号(2017年6月)

最近思ったこと

タイトル画像
 なんだか最近雨が多いように感じます。北海道には梅雨が無いといわれていますが、ここ10年の間に気候の変化は明らかに起きているように思います。みなさんは天気が悪いと何か心身に変化はないでしょうか?私はまず湿気でヘアースタイルがまとまりません。朝からヘコまされます。次に関節になんとなく違和感を覚えます。これは私の祖母の受け売りなのですが低気圧のせいで関節の調子が悪くなるとのこと。これは「気象病」とも言われているようです。一方で、雨が降ると埃っぽかった空気が綺麗になる気がします。さらに静かな雰囲気を与えてくれたりもします。せっかく四季のある地域に暮らしているので良いところも悪いところも含めて楽しもうというのがオツなのかなと思いつつ日々を過ごしております。

「あたま」と「からだ」

室橋 春光〔心理臨床センター研究員・臨床心理学科教員(臨床心理士)〕
 私は、スポーツは得意ではありませんが、10年くらい前からランニングをするようになりました。時間をあまり気にしないで、考えごとをしたり景色を楽しんだりしながらサイクリングロードを走っています。気がつくと、自分の決めたゴール地点に近づいていたりします。制限時間を設定して必死で走ると、最初はがんばるのですが、しだいにゴールまでまだある・・・辛い!という気持ちになってしまいます。しかし考えごとをしながら走っていると、「からだ」のほうでうまく調整してくれるのですね。「あたま」は、理想や目的を実現しようとして、「からだ」に無理な命令をすることがあります。最初は「からだ」もがんばってくれるのですが、しだいに疲労が蓄積して辛くなってしまいます。また逆に、「あたま」が「からだ」の一部のことを気にしすぎて、動けなくなってしまうこともあります。
 「あたま」が「からだ」と相談しながら、<運動>してくれれば良いのですが、「からだ」の“現実”を無視しがちな「あたま」は“独走”してしまいがちです。
 「からだ」は、たくさんのパートから成り立っています・・・内蔵、骨と筋肉、それに神経系。このようなとても複雑なしくみをもつ「からだ」のことを、「あたま」のほうでは白か黒かというように、単純にとらえてしまう傾向があります。「からだ」を“思うよう”に動かす、ということは実は至難のワザであるのですが、そのことを「あたま」に納得してもらうのは容易ではありません。
 かといって、「あたま」が「からだ」に関わらなければ、私たちは<行動>できなくなってしまいます。<運動>するためには、ちょっぴり無理をして「からだ」を“方向づける”ことが必要なのです。しかしそのためには、「あたま」と「からだ」がよく相談して計画を練り、納得した上で“無理”をすることがだいじなのですね。それは、“信頼する”ということなのかもしれません。

実習生(大学院生)のつぶやき

挿絵
 最近、Jaco Pastoriusというベーシストに関心を持っています。残念ながら彼は1987年に35歳の若さで亡くなっていますがエレクトリックベースの革命児として知られています。彼の作品を詳しく聞くまでは、「超絶技巧のジャズベーシスト」という一方通行なイメージしかなかったのですが、技巧だけでなく何か熱い情熱にとても興味を惹かれました。彼の人生は凋落が激しく、一時は世界最高のベーシストに昇りつめたにも関わらず、最後は悲しい結末に終わるという浮き沈みの激しいものだったようです。彼を知る者の証言では彼の晩年の悩みは新しいものを生み出せなくなったことと、それに対する「断念」だったといいます。何か天才的なものを創造するということは時としてリスクになりえるので平凡が一番と思う今日頃でした。
(T.K.)
 
 
 
 
イラスト:ふわふわ。り