心の手帳 56号(2018年6月)

りんごの花

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 「満開の時のりんごの花の美しさといったら、それはそれは夢のように素晴らしいものなんだよ」その当時勤めていたウイスキーメーカーのリンゴで作るシードルというお酒を担当していた先輩から聞いたこの話は、私の心の中にずっと残っていました。いつか見たい、いつか見たいと思ってから何年もたち、ひょんなことからニセコに住むことになった春、とうとうすぐ近くの余市町で、満開のりんごの花を見ることができました。先輩の言ったとおり、甘くやわらかい香りがほんのり漂い、ピンク色に染まったつぼみ、小さな白い花でいっぱいの満開のりんご畑は、まだ行ったことはないのですが、まるで天国のようでした。

昔の人はよく言ったもので・・・

大宮 秀淑〔心理臨床センター研究員・本学准教授(臨床心理士)〕
 もうかれこれ10年以上も前のことだと思うが、とある場面で「昔の人はよく言ったもので・・・」という言葉を聞いた際に、なぜだか私の興味アンテナがキャッチし、それからというものの、昔の人が使っていた言葉や言い回し、格言などで今もなお生きて使われている言葉に注意が向くようになった。例えば、「2度あることは3度ある」という言葉がある。時にある失敗や出来事が何度も繰り返されるので気を付けましょうという意味で使われるが、一方では「3度目の正直」という言葉もある。2度失敗したことであっても、3度目には成功するかもしれないという意味でも使われる。この言葉が表すところは、ある失敗やミスなどは繰り返されるかもしれないし、そのうちうまくいくかもしれないということではないかと自分なりに理解している。一見矛盾するこの言葉が今も使われていることを考えると、失敗が繰り返されることも、近い将来には成功につながることも両方があり得ることを現代の我々も実感しているからであろう。そうでなければ言葉として使われなくなるのだろう。このような例を挙げれば枚挙にいとまがないが、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」、「好きこそ物の上手なれ」、「木を見て森を見ず」などが浮かんでくる。

 一方で、もはや使われなくなった言葉もある。いわゆる「死語」である。一世を風靡した「24時間戦えますか?」はもはや時代錯誤の言葉であろう。今、我々が日常的に使っている言葉はいずれなくなるのだろうか、それとも「昔の人はよく言ったものだね」と言われながら遠い将来でも使われ続けるのだろうか。我々心理臨床家の商売道具は「言葉」である。以前「言葉の精度を上げる」という言葉を聞いた覚えがあるが、自分が発し、使う言葉の意味やその重み、相手に対する影響力などを考えながら丁寧に言葉を使っていきたいと思う今日この頃である。

実習生(大学院生)のつぶやき

挿絵
 自宅の庭に目をやると、私と同い年のキングサリが小さな花の蕾をつけていました。近年は忙しく春の花見などはしていませんでしたが、この季節のキングサリは、心地よい風で揺れる花がとても素敵で、ついつい毎年見入ってしまいます。毎年綺麗なキングサリが見られるのは、忙しい中でも庭の手入れを欠かさない父がいるからだと,しみじみ感じます。枝の剪定は勿論、木の保護まで、人が手を加えられる範囲での世話を、地道ではあるが続けていく。簡単なことではないと思います。

 母も父も「花を見るとゆとりが生まれる。」と言います。コツコツ、地道でも自分なりの日々を、自分なりに踏みしめ歩いてゆくことで、ゆとりというものが生まれてゆくのだろうな、と思うこの頃です。
(S.A)
 
イラスト:ふわふわ。り